投稿日:2009-11-21 Sat
数字が苦手なのは生まれつきだと思う。計算も苦手だし、
時々3や5を間違えて、鏡で見たように反対向きに書いてしまう。
暗算は3度も4度もやり直さないと自信がないし、九九にいたっては半分忘れている。
ま、それでも大して困らずに社会生活を送ってはいるけれど。
予断だけど、フランス人は数字が好き。
パーティーなどで必ず、
「日本の面積は?人口は?外国人の数は?東京の大きさは、人口は?京都の寺の数は?」
などと聞かれる。
私はまず答えられないので、「無知・教養なし」丸出し。
そんなわけで世の中には、覚えなければならない数字の羅列ってのが結構ある。
上記の人口や面積は覚えられなくても、
電話番号、カードの暗証番号、番地、郵便番号などは覚えてないと支障をきたす。
1〜9までの数字の羅列。
しかし私の脳には、この単純な数字の羅列が刻み込まれない。
自分の携帯電話の番号さえそらんじて言えないほど重傷である。
そこで、どうしても忘れてはいけない数字の羅列は、言葉に直すことにしている。
4225-6741=よにふたご・むなしい・・・ってな具合。
言葉に直すために、真剣に数字に向き合う時間が増えるし、
言葉によってイメージがわく。
○○ちゃんの電話番号は・・・・と思った瞬間双子の顔がパッと浮かび、
「よにふたご・・・・」と呪文のように聞こえてくる。
それを数字に翻訳する。
さて、パリに住んでいると、どのアパートの入り口にも、コードがかかっている。
数字とアルファベットの組み合わせでできた暗証番号。
それを押すとカチッと錠が外れるという仕組み。
定期的に変更されるし、建物によっては2つあるところもある。
生徒の家に出かけるたび、コードを押すわけだから、
記憶しておかなければならないコードの種類は多い。
もちろんアドレス帳に記録してあるけれど、いちいち見るのも面倒だし、
家に忘れてきたりしたらば扉の前で立ち往生することになる。
(今は携帯という便利なものがあるけれど、でも毎回電話するわけにもねえ)
そこで、頭をひねって覚えた今年のコードの数々ご披露いたします。
「戦虫(いくさむし)」
「五時・永禄」
「やい、死後霊」
「ああ最後」
「シミには・いい粉、びっくりやー」
etc.etc.......
ね、忘れないでしょ?
投稿日:2009-11-16 Mon
こまめに買出しに行けないので、冷凍食品をいくつか常備している。そりゃ、旬の生物が美味しいに決まっているけれど、毎日買い物に行っている時間はないもの。
でも、それなりにちゃんと料理したいし、いろんなものが食べたい。
そこで、妥協策の冷凍食品。
フランスには、Picardという大変便利な冷凍食品専門店があって、愛用している。
Picardの良いところは、冷凍状態が大変良いこと、野菜や魚の種類が豊富なこと。
調理済みの品と、そうでないものが半々。
生野菜でも、無農薬ものと普通のがあるし、切り方もいろいろ。
スープ用に混ざったのとか、炒め物用に切り合わさったものとかもある。
例えば、ほうれん草のタルトなんか作ろうと思った日には、生を買ったら下準備に何時間かかるかわからない。その点Picardなら、1キロのほうれん草一袋使って、すぐ調理にかかれる。
加工食品はほとんど買わないが、魚や野菜パイ生地などは切らさない。
「獲りたての魚を船の上でさばいて瞬間冷凍するんだから、それを解凍して売っている市場のより新鮮なのよ」
と医者の友人が言ったことを鵜呑みにしたわけじゃないが、
どうせ市場で買ったって家で冷凍するんだから、冷凍食品を買ったほうが良い。
Picardで売っている魚の中でも、さばの切り身は大変重宝。
2枚おろしにしてあるので、酢じめをするにも大変お手軽。
自慢じゃないが、鳥はさばけても魚はおろせないの、私。
解凍するとき軽く塩して脱水シートにくるんでおけば、一夜干しの完成。
単にぶつ切りにして、皮に切れ目を入れフライパンで焼く。調味料は一切なし。
油を敷かなくても、魚から出る油で十分。
ダンナちゃんはこれに大根おろしがあればご飯3膳は食べる。
それから、イタリアントマトの角切り、3色ピーマンの細切り、シャンピニオン薄切り。
この3品に鶏肉、ラルドン、たまねぎを加えれば、AYa流プーレ・バスケーズの出来上がり。
調理も野菜と肉を炒めたあと圧力鍋で5分加圧するだけというお手軽さ。
急なお客さんでも困らない。
その他、トマトの角切りはトマトソースに。(トマト水煮缶詰よりも美味しい)
ピーマンはチンジャオロースに。(切る手間が省ける)
シャンピニオンはサラダにオムレツ、パスタにストロガノフ、スープと使い道が多い。
そして最近の大ヒットは「フランボワーズ・ブリゼ」を使った即席ヨーグルトアイス。
フランボワーズとはラズベリーのこと。これが砕かれた状態で袋詰めになって売っている。
ミキサーにプレーンヨーグルト25cl、砂糖、レモン汁、フランボワーズ・ブリゼを適量入れて、
ガガガガーっと全体がよく混ざるまで1分くらい回すと、
なんということでしょう〜〜〜〜〜〜
即席ヨーグルトアイスの出来上がり。
そのまますぐ召し上がれます。
これ、お客さんに何度か出したけど、
「どこのアイス?おいし〜」
て反応で、冷凍物を使って、たった今作ったばかりと見抜いた人はいませんでした。
ひとつPicardに注文です。(って、だれもPicardの人は読んでないって)
ジャガイモの薄い輪切り、角切り、千切りのものを出して欲しい。
ジャガイモに関しては、フライドポテト類の加工品しか売ってない。
クルジェットやにんじん、玉ねぎなんかは切って袋詰めになったのがあるのにさ。
ちょっとした付け合せやグラタンに便利だから、ぜひ作ってくださいませんか。
AYa
投稿日:2009-11-14 Sat
「最近更新してないね。」と久しぶりに会った古い友人に言われました。
「結構楽しみにしてるのに」
というわけで、ちょっと反省。
雑文だけど、その辺はお許しいただくとして。
他人の家庭って、なかなかのぞく機会のないもの。
私にとって、夫の実家はほぼ始めてのぞく「他人の家」
生活体系や、家族の話題など、自分の育った環境とは大きく違う。
その中でも面白いのは、食事。
私の実家では、父が料理する。
ま、これは珍しいって判ってる。(ちなみに父は80歳)
料理ができたら、
「ごはん〜」
と声がかかり、家族全員食卓に集合する。
全員集まらないと箸が取れないので、やりかけていたことを適当に放り出して、
遅れないようテーブルに向かう。
全員そろったところで「いただきまーす」
テーブルの中心に、メインのおかず。
肉料理なんぞがドカンと盛られている。
その他残り物やサラダなどが並ぶ。
めいめいのお皿は大きくて、それにおかずをとって食べる。
お皿の上に小さなお皿が載っていることもあり、それがスープ皿のこともある。
ご飯とお豆腐などは小鉢で大皿の横に。
必ずナプキンの上にフォークとナイフ、それにお箸。
適当に食事を終えたら
「ごちそーさま〜」
と言って、自分の食器を台所まで運び席を離れる。
仕事に戻ることもあり、テレビの前に座って、甘いものを食べることもあり。
子供のころは、7時から練習時間と決まっていたので、早々に食事を済ませたら、練習室に向かっていた。
両親も仕事があったから、食事の片づけが終わったら、各自部屋に引き取ってやるべきことを片付ける。
夫の実家はがらりと様子が違う。
5時半ごろから食事の支度が始まる。
このときすでに台所に人がうろうろ。
食卓に料理が並び始めると、誰からともなく座って箸を取る。
お魚、トマトの輪切り、大根おろし、油揚げの焼いたの、塩から、筋子、キャベツの煮物。
てな感じで、とてもヘルシー。
銘々皿は小さくて、いくつも並ぶ。これはお魚、これはサラダ、これは煮物用ってな感じ。
ご飯は出てこない。
そのうちお父さんが帰ってきて、晩酌が始まる。
時々、お父さんがテーブルにないものをご所望になったりして、そうするとお母さんがさっと立ち上がって、手早く作る。
お母さんは思いつくと、テーブルから離れて、廊下を掃除しに行ったりお風呂を入れに行ったりする。
9時ごろになると、ご飯が出てくる。
なんとなく食べ終わった皿から洗い始める。
だれかれともなくお風呂に入り始める。
最初はびっくりしました。
私の実家はお酒を飲む人がいないし、家でするお仕事を各自持っていたので、食事はささっと済ませてました。
夫の実家の夕食は晩酌で、1日の終わり、締めなんですね。
お酒を飲む人は炭水化物を最後に取るんだということを学びました。
夫の実家の食事はすごくヘルシー。
家族のみんなもとてもスレンダー。
ところが、前回2週間の滞在で2キロ太りました。
考えられる理由は、
1)銘々皿が小さいため、自分がどのくらい食べたか判らない。
2)1品が軽いので、いくらでも食べられる。
3)長い時間食卓で過ごすので、満腹感のないまま、だらだら長いこと食べ続ける。
こんなところでしょうか。良し悪しは別として、上手に適応しないといけませんね。
投稿日:2009-09-28 Mon
秋の陽気に誘われて、日曜日の夕方、散歩に出かける。ウチからまっすぐ南に下りて、目指すはセーヌ川。
日曜日にはお店が閉まるため繁華街は閑散としているけれど、その代わり公園や眺めのいいカフェは人が集まる。
Montorgueil(モントルゴイユ)通りのカフェテラスは花盛り。
老若男女、真夏のような格好をして、ビールを飲みながらおしゃべりを楽しんでいる。
Les Hall(レ・アル)を横目にみて通り過ぎ、Rivoli(リヴォリ)通りに抜けてPont Neuf(ポ・ヌフ)を渡る。
普段の移動はメトロ。まして忙しい時は、観光客の多いところは避けて通る。
セーヌ川の下は何度も通っているけれど、目にするのは久しぶり。
やっぱりパリの一番美しい場所と言ったら、セーヌ川沿い。
Pont Neuf(ポン・ヌフ)はCite(シテ)島の突端をかすめ対岸へ続く、映画のタイトルにもなった橋。

いったんサンジェルマン側に渡って、店じまいを始めたブキニストを冷やかしながら、Pont des Arts (ポン・デ・ザール)まで歩く。
シラクが大統領だった時代に、京都にこの橋を作るという計画があった。
木作りの、平らなこの橋は歩行者専用。
真ん中にベンチが連なり、セーヌ川をゆっくり見渡せる。
渡り口のところから、たくさんの人がいるのが見える。
車座になって座り、ワインを飲みながらおしゃべりに花を咲かせる若者たち。
ベンチに腰掛けギターを持ち出して歌う青年。
布を敷いてすわり、チーズにパン、ポテトチップスでピクニックする観光客。
どうやらセーヌ川を見渡せる絶景の場所として、人気らしい。
車が通らないから、気楽に地べたに座れるのだろう。
手すりのあちこちにつけられた南京錠が目に留まる。なんかのおまじないだろうか。
ルーブル側まで渡りきってから、セーヌの岸辺に降り、石畳の岸辺に腰掛けて一休み。
川風を感じながら、低い目線で風景を楽しむ。
左から来るのは観光客を乗せた船。
右から小さな帆船。
おなじみのバトー・ムーシュも観光客がてんこ盛り。
そして、Pont Carrouse(ポン・カルーズ)のアーチをぎりぎり潜り抜けてくるのはひときわ大きな観光船。
セーヌ川クルーズの客船だ。
赤々とライトがともって、レストランらしい2階の端が良く見える。
1階は客室なのだろうか。
この船はノルマンディーまで行くらしい。
夕暮れが落ちてきたので、立ち上がり、オルセー美術館の時計台を左の対岸に見ながらゆっくり歩く。
夕焼けを肴に、ここでもピクニックする人あり。
犬の散歩する人、そぞろ歩きの恋人たち。
橋の下で演奏するジャズマン。
折りたたみの机を出して、ノートを片手に電話する人。
Passerelle Solferino(パッスレル・ソルフェリーノ)の下からチュイルリー公園の中へ抜けようと思ったら、時刻が遅かったのか、門が閉まっている。
あきらめて、もう少しセーヌのほとりを歩く。
このあたりから、岸辺に船が2重3重に泊まっている。
パリ市に家賃を払って、住所をもらい、船上で生活している人々のもの。
と言ってもボートピープルみたいなんじゃなく、パリのど真ん中に、都会の喧騒を離れて暮らすことのできる、選ばれた人々。
船だって、中は豪華に改装された大変高級なもの。
デッキのテーブルでアペリティフをする家族。
ソファーに寝そべって読書する若い女の子。
冷やかしながら、Pont de la Concorde(ポン・ドゥ・ラ・コンコルド)まできたとき、
岸辺のせり出した石造りの手すりに腰掛けるカップルが目に止まる。
二人の間に広げた白いテーブルクロス、フルートグラスにシャンパン。
男性の髪は白く、ジャケットを着こなす初老紳士。
女性はエレガントな白いワンピース。
食事に出かける前のひと時をすごしに来たのだろうか。
視線の先には真っ赤な夕焼け。
Alexsandre3(アレクサンダー3世)橋の影が映り、右にGrand Palaisの屋根、左にエッフェル塔。
さわやかなセーヌの風に当たりながら、静かにたたずむカップル。
まるで映画の1シーンのよう。
ああ、日本の男たちよ。50歳になっても60歳になってもこんなデートが演出できますか?
しばしその風景に見とれた後で、コンコルド広場にのぼる。
夜がそこまで来ているなっと思った瞬間、広場の街頭がふっと燈った。
右手にオベリスク、左手にシャンゼリゼ、凱旋門。正面にホテルクリヨン。
ちょうど20時。いい散歩になりました。
AYa
投稿日:2009-07-01 Wed
私たち用に用意してもらった部屋にあがったのは11時ごろだろうか。壁紙も家具も年代もの。
かしいだベッドに、スプリングの出たマット。
天井にかかったくもの巣。
普段はこの広い家に一人暮らし。
しかも、検事として激務をこなす彼。
いくら助けてくれる人がいるとはいえ、男手ひとつでは行き届かないことが多いに違いない。

翌朝、かしいだベッドから起き上がると背中がギシギシ。
窓を開けると広がる青空。
森のにおいに鳥の声。
今日も天気が良いらしい。

軽い朝食をとったら、オリヴィエはミサに出かけた。
もうひと組の泊り客が持って来た歌の楽譜を前に、ピアノを囲んでみんなで大合唱。
もともと、<オペレッタを歌う会>仲間だから、楽譜も読めるし、結構歌える。
2重唱、3重唱、レイナルド・アーン、オッフェンバック、モーツァルト・・・・
歌い疲れたころには日が高く上り、
執事兼料理人のデデが、庭の木陰にテーブルをセットしてくれていた。
帰ってきたオリヴィエをまじえて席につく。
さっき採ったばかりのサラダと、昨日の残り。
ピンクシャンペンにシードル。
と、遠くから
「べぇ〜〜〜〜〜べぇ〜〜〜〜〜」
がなり声が聞こえてきた。
オリヴィエが両手を広げて
「あなたたち、幸運だね。こんな田舎でも、珍しいよ。そのすぐ横を通るから庭の中から見られるよ」
と言う。
都会人の客たちはカメラを手に声のするほうへ。
柵の間から、首を伸ばして待っていると、
来ました、来ました。
ホンモノです。

ハイジに出てくるピーターとはほど遠い、筋肉モリモリ、がっちりしたおじさんですが、
これぞホンモノの羊飼い。
牧羊犬2匹を器用にあやつって、羊を駆ってゆきます。
おじさんも、羊も、ものすごい声。
動画はコチラ
羊が森の中に深く入ってゆくのを見送って、私たちも失礼することにしました。
<これぞフランス>な週末。
AYa
投稿日:2009-06-29 Mon
今年度最後の大きなお仕事。ピカルディーの友人宅でプライヴェートコンサート。
毎年この時期が来ると、オリヴィエからお声がかかる。
フランス人の知り合いの中で、この人が一番血統正しい。
田舎とはいえ正真正銘、ホンモノの貴族なのだ。
<貴族>というと金髪巻き毛、ベルサイユのバラを思い浮かべるけれど、
本人は<一升徳利を下げた狸の置き物>にそっくり。
ただ、言葉遣いが恐ろしく美しい。
私が普段聞く庶民のものとは雲泥の差。月とすっぽん。
フランス語ってのはこうでなくては・・・・というような、
プルーストかヴィクトル・ユーゴかってな感じである。
ピカルディーの、地平線まで広がる麦畑の中を抜けてゆくと、赤レンガの小さな町があり、
その先に森がひろがっている。
レンガの長い壁が見えてきて、古風な門柱が現れる。
中へ入ると、小ぶりながられっきとしたお城。

これがオリヴィエの長兄が継いだ、母屋。
その横にくっついて立っている赤レンガの家が彼の持ち物。

裏へ回ると広大な庭。

天気がすばらしく良いので、今日は外でアペリティフ。
私たちが演奏するのは、サロンの中。

窓を開け放って、客人たちは外に並べた椅子に座る。
招待客50人といっても、この庭の中ではたいした人数に見えない。
今日のプログラムはサロン風軽いもの。
メンデルスゾーンのソナタ1楽章
フォーレのエレジー
ラヴェルのハバネラ
サンサーンスの白鳥
ショパンの華麗なるポロネーズ。
さすが、シチュエーションにぴったりはまったショパンの受けが良い。
演奏が終わって少しおしゃべりをしたら、食事の時間。
庭にある納屋を改造した食堂に移動する。

前回ここに来たときは、オリヴィエの仕事仲間と、土地の有力者が集まっていた。
欧州裁判所の判事や検察官。
現大統領のお兄さんまでいたりして、堅苦しい集まりだったけれど、
今回は個人的な友人が多く、少し気楽な感じ。
とはいえ、裁判長さんも多いし、名前に。<de>のはいった貴族出身も多い。
スモークサーモン、パテ・オン・クルート、鳥のロースト、ラタトゥイユ、ロケットのサラダ。
デザートは庭で取れたラズベリー、クランベリー、さくらんぼ、ブルーベリーの砂糖漬けを
バターたっぷりのスポンジケーキの上にどっさりのせて、甘い生クリームをかけていただく。
うんまい。
はじめてきたときは、庭の一角に豚が2頭、串刺しにされて焚き火の上をくるくる回っていた。
そう、ホンモノの豚の丸焼き。
見るのも初めてなら食べるのも初めて。
フランスの田舎貴族の家で<大草原の小さな家>をやっている、不思議な気分だった。
ちなみに庭の周りに広がる森も彼の持ち物で、
季節が来ると、コスチュームを着て馬に乗り、犬をあやつって狩をする。
いのししや鹿、ジビエなど撃っては、納屋でほふって食べるんだそうだ。
食事の後は、森の入り口へそぞろ歩いて、
サン・ジャン祭りの焚き火を囲み、詩の朗読を聴き、歌を歌たい、
プルーストの「失われたときを求めて」の朗読を聴く。

そうして夜が更け、つらつらと客たちが帰ってゆく。
私たちは今夜はここへ泊まり。
AYa
投稿日:2009-06-22 Mon
6月20日はfete de la musique 音楽祭り。普段騒音にきびしいフランス人も、この日ばかりは文句を言わない。
誰がどこで演奏しても良いという無礼講。
町中に音楽があふれ、プロも素人も音楽三昧。
カフェのテラス客を目当てにストリートパフォーマンスしたり、

広場に陣取ってみたり、

屋根の上をステージにしてしまった、DJがいたり。

なんて書くと「素敵なお祭りね」と思われそうだけれど、
現実はそんなに甘くない。
もちろん質の高いコンサートも無料で提供されているし、
主要なコンサートは区役所や市役所のサイトで前もって調べることができる。
私も友人に誘われて、「ブラッチョ」というスラブジャズグループを聞きに行って、
楽しい時間をすごした記憶がある。
ただ、道にあふれかえっている<自称ミュージシャン>の中には、
「ひえ〜」ってなやつも、
「うるせ〜やめろ〜」
「耳がつぶれる〜」
ってのもごちゃまんといる。
夜が更けるにしたがって道に人があふれかえり、
アンプのボリュームを最大に上げたバンドがそこかしこで演奏する。
あっちの音も、こっちの音も混ざり合って、何を聞いているんだか分からない。
用事があって出かけなくちゃならなかったりすると、
まっすぐ歩けないわ
交通機関は混み混みだわ
酔っ払いが多いわ
うるさいわ
・・・・・・てのが一晩中続くのである。
通り側に面したアパートなど、うるさくて眠れたもんじゃないとか。
ううう。
音楽の祭りって言うより、騒音祭って呼んでほしい。
どうせなら、いい音楽を聞かせてよ。
お願い・・・・・・。
AYa
P.S. ちなみにこのお祭り、世界中に輸出され、100カ国近い国が行っているんだそうです。
良いんだか悪いんだか。
投稿日:2009-06-13 Sat
近所に住んでいる日仏カップルがいる。2人目の子供ができたのを機会に結婚することになった。
金曜日の午後、18区の区役所で簡単な結婚式。
区長の挨拶、結婚の誓い、新郎新婦と証人のサイン、指輪の交換をして終わり。
その後、ブーローニュの森にある3つ星レストラン「プレ・キャトラン」へ向かう。
長いフランス生活でも、三ツ星は始めて。
美味しいと評判のレストランだから楽しみにしていた。
まずは玄関脇の小部屋に通され、
新郎新婦を待ちながら、シャンパンでアペリティフ。
全員そろったところで個室に案内されて、テーブルに着く。
まずはミーゾンブーシュ。

たまねぎのムーススープに、グリーンピースのムーススープをかけていただく。
続いてカニ尽くし。ウイキョウのスープ、珊瑚色のゼリー。横にあるのはフランス産キャビア。


フォークで下を探るとカニ肉が現れる。
エビ尽くし。ラングスティンのラヴィオリ。ミントと胡椒の香りのオリーヴオイルのブイヨン。

えびの天ぷらと春巻き風揚げ物。ローズマリーソースと、炒りピーナッツソース。

ラングスティンのバター焼き。

ひらめのソテー、炒りピーナッツと小さなケッパー、オニオンのせ。苦いアーモンドのソース。

イカのリゾット、オリーブ油と黒胡椒のソース。

ラム肉。甘草とマスタードソース。チーズのラビオリときのこのスープ。


チーズの盛り合わせは、テーブルにまわってきたギャルソンに頼んで好きなものを切り分けてもらう。
そしてデザート。
まずは、ぱりぱりのスフレ<りんご>。キャラメルのアイスクリームとシードル、はじける砂糖入り。

パリンと割ると中はこんな感じ。

チョコレートのタルト

素材のよさを最大に生かしつつ、伝統的なものから外れて、新しい技術や異国料理を取り入れてゆく。これが最近のフランス料理の傾向なんじゃないだろうか。
そう考えると、いまどきの料理人の苦労がうかがえる。技術も知識も人一倍持ちながら、アイディアにもセンスにも優れていなければならない。今まで誰も考え付かなかった組み合わせに、新しい食感。
だけど、奇をてらった料理は最初の一口は新鮮でも、二口目には慣れが始まり、食べ終わるころには飽きている。
音楽でも、新しい音、新しいコンセプトと探し回っているけれど、どんなに斬新なことをやっても、斬新なことをやるために書かれた音楽は残ってゆかない。人の心に訴えるために書かれた音楽だけが、斬新だろうが、伝統的手法だろうが残ってゆく。料理も似たようなものではないだろうか。
三ツ星の貫禄を匂わせる美しい建物に内装。落ち着いた佇まい。申し分のないサービス。
お料理は目新しいものが多く、美味しい。
だけど、もう一度行きたいかと聞かれたら、「もういい」と答えるだろう。
ムース状のソースやスープが流行なのは分かるが、3品も4品も続くと飽きが来る。
白身魚にはあまり味はなく、ソースの味が濃すぎて、私の好みに合わなかった。
「単なる塩焼きのほうがうまいかも」
と、フランスで魚を食べるといつも思う。
デザートのスフレは面白かったけれど、特に美味しいとは思えず、チョコレートタルトは悪くなかったけれど、お腹がいっぱいで食べられない。
料理も起承転結が必要だとおもう。
ところがこのメニューでは一番中心に来るべき料理がどれだか分からない。
生野菜はひとつもなかったな。温野菜も形のあるものはなく、くだものもなかったし。
そのせいか、あれだけいろいろな料理を味わったのに、ヴァラエティーに飛んでいたとは言いがたい。
一つ一つの料理の美味しさだけではなく、全体を通してあきさせない。
ひとつの物語のごとく、笑いあり涙あり、ほっとする場面、びっくりされるところとあって、なおかつ筋が通っていなくてはならない。
・・・ってのはまったく身勝手な考えなんだけれど。
席についてから席を立つまで数時間をどんな風に旅させてくれるか。
欠けていたのはそんなところか。
記憶に残った味はなし、もう1度、どうしても食べたいと思った料理もなし。
やっぱ、感動的な料理って忘れないもんねえ。
投稿日:2009-05-20 Wed
管理人のネッリーは、若いのに仕事熱心だった。管理人の仕事は、朝の庭掃除に始まって、100世帯かならる38番地に配られる郵便物の整理、配布、小包などの受け取り、ゴミだし、住人同士のトラブルの仲裁などなど、幅広い。
ネッリーは中庭の管理にうるさく、子供が草木を傷めないよう目を光らせていた。
広告などを配りに無断で入ってくる人を見ると、すごい剣幕で追い返し、自転車やバイクも玄関ドアの通過を許さない。
「中庭が痛むから、あんたの自転車はアパートまで持ってあがってちょうだい。バイクは道に止めればいいでしょっ!」
と交渉の余地なし。
落ち葉をのろいつつ、箒を器用に使い分け、草木にまめに水をやって、雑草を抜いていた。
水漏れがあったり、鍵をなくしたり、「音がうるさいと文句を言われた」と泣きついたり、「あそこのアパートの騒音何とかして」と訴えに行ったりするのはネッリーのところ。
そのたびにささっと腰を上げて対処してくれた。
隣のアパートの夫婦喧嘩が中庭でおっかけっこをするほどすごくて、
「あれって問題じゃない?」
とネッリーに話したら、
「私、こないだも近所迷惑だって談判しに行ったのよ。今度もし聞こえたらすぐに言いに来て。あのアパートの持ち主に話して、出て行ってもらうから」
ときっぱり言い切った。
きりっとした横顔がかっこいい。
6月恒例の住人同士のパーティーも、クリスマスの中庭の飾りつけも、ネッリーと、旦那のジャッキーが中心になって行っていた。
ジャッキーの仕事は会社勤めだけれど、日曜大工が趣味で、アパートのちょっとした修理など気軽にやる。
我が家のカーテンレールもつけてもらった。
ネッリーとジャッキー。私にとって、38番地と切り離せない管理人夫婦だった。
一昨年の五月。
掃き掃除をしていたネッリーに
「元気?」
と声をかけると、
「いや〜、最近疲れが取れなくって、いくら寝てもだめなのよ」
と珍しくため息をついた。
その後ずっと気になってはいたけれど、ゆっくり話す機会のないまま、私は日本へ旅立ち、夏が終わった。
ネッリーが病気だと聞いたのは、9月に戻ってきたとき。
姿が見えないと思ったら、
「大腸癌だって」
という話。
手術をして、一時元気な姿を見かけたけれど、それからまもなく化学療法に入ってからは、つらそうだった。
娘さんが付き添って、「これから病院」と弱く微笑んだ顔。
旦那さんと連れ立って出かけたネッリーが
「遊びに行ってきたの。楽しかったけど、疲れたわ。ほんとに疲れた」
と言っていたのは去年の5月。
そして、臨月だった娘さんが双子を生む少し前、ネッリーの死を知らせる張り紙が、38番地に張られた。ネッリー45歳。
何だ、たいして歳かわんないじゃん。もっとずっと年上だと思っていたのにさ。
45歳でお祖母ちゃんにならんとしてたんだ。若いからあっという間だったんだね。孫の顔、見られなかったね。あの人がまさかこんなに早くいなくなるなんてね。
ジャッキーとすれ違い、お悔やみを言おうとして言葉に詰まる。
こんなとき、何を言っても空々しく響くような気がして、言葉が見つからない。
元気付けるにも、悲しみの気持ちを分かち合うにも、言葉では足りない。
「行ってしまったよ。ああ、つらい。つらいよ」
と言って目に涙をためたジャッキー。
双子の孫ができたのが、せめてもの救いだったかもしれない。
秋になってもネッリーの後任はまだ決まらない。
ジャッキーは
「来年の春の定年退職まで38番地にいてよいことになった」
とかで、時々姿を見かける。
管理人の代理は午前中に来て掃除、郵便配布をしたら帰ってゆく。
冬が来て、飾り付けのないクリスマスが過ぎ、春が来て中庭に花が咲き誇る。
管理人部屋にはいつも
「ferme(閉)」の札がかかったまま。
先週の土曜日。古くからの住人たちが
「ジャッキーを送り出すパーティ」
を企画した。
ネッリーが丹精した中庭で、バーベキュー。
ジャッキーを囲んで顔見知りの住人と、ジャッキーの家族。
引っ越してしまった昔の住人もいた。
持ち寄りで夕方から夜中までおしゃべりに花が咲く。
ネッリーの思い出話。
近況報告、それぞれの病気のこと、昔の住人の噂話。Etc.etc………
考えたら、我が家に水漏れをやらかしてくれたムッシュー・アランは今年になってひっそりと病院でなくなり、もう一人のマダム・ルイも老人ホームへ移った。
この二人の人生もいろいろあったようだけれど・・・・。
そしてジャッキーもいなくなる。
古くからの住人が減ってゆき、幼い子供を持った若いカップルが増えている。
ネッリーが、あれほど子供が走り回るのを嫌っていた中庭では、学校帰りの子供たちがボール遊びに熱中している。
38番地の1時代が終わったってことか。
AYa
投稿日:2009-04-14 Tue
縫い物をはじめたのは、パリに来てから。着る物がなくって、お金がなくってくさっていたころに安い生地屋に出会った。
「こんなのチョチョッと縫ったら、洋服になるじゃん」
と思い立ち、みようみまねでスカートを作った。
もちろん全て手縫い。
出来上がった物を友人に見せたら、
「それなあに?」
と聞かれたというシロモノ。
現実はそれほど甘くなく、自分に合う服を作るのは結構手間と技術がいる、
ということを理解して18年。
はじめてミシンを買ったのは16年前。
今ので2代目になる。
生地問屋の近所に住んでいるせいで、前を通るとつい買ってしまい、
小部屋の棚は生地で一杯。
時々部屋中に広げて、こんな形、こんなデザインと考えるだけで楽しい。
型紙もあふれんばかりになって、収納場所に困っている。
去年の誕生日にロックミシンを贈ってもらってからというもの、
ストレッチ生地がぐんと増えた。
既製服はあまり買わなくなったけれど、
他人に作ってあげられるほどの腕はなし。
未だに気に入る物はなかなかできない。
それでも爆発しそうな生地の棚を何とかすべく、せっせと作った洋服たち。
セーター・ワンピース・スカート・アンサンブル・Tシャツ・なんちゃってジーンズ













その他、ダンナちゃんのセーター2着
グレーのアンサンブル1組
うそんこジーンズ黒ヴァージョン
自分のセーター2着
ボレロ1着 etc.etc....
この中で気に入って着るのはどのくらい?と思いつつ。
さあて、ヴァカンスじゃ作るど〜。
だって今ある生地を消費しないと、新しい生地が買えないんだもん。
本末転倒。
AYa
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